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テレビ、ラジオ、Twitter、ニコニコ生放送、Ustream……。マスメディアからソーシャルメディアまで、新旧両メディアで縦横無尽に活動するジャーナリスト/メディア・アクティビストの津田大介が、日々の取材活動を通じて見えてきた「現実の問題点」や、激変する「メディアの現場」を多角的な視点でレポートします。津田大介が現在構想している「政策にフォーカスした新しい政治ネットメディア」の制作過程なども随時お伝えしていく予定です。

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町山智浩、『宝島』ゴールデンエイジを大いに語る(津田大介の「メディアの現場」vol.44より)

津田マガ記事


(※この記事は2012年9月05日に配信された記事です)

アメリカ在住の映画評論家であり、現代アメリカ事情にも詳しい町山智浩さんは、もともと宝島社の編集者でした。実は、僕がライターになろうと思うようになったのは、学生時代に愛読していた『別冊宝島』や『宝島30』など、町山さんが作っていた雑誌に影響されたからなのです。今回、念願叶って町山さんと初めてお会いし、編集者時代のエピソードを話してもらいました。当時はまさに、インディーズ・パンクからオタク文化まで、サブカルチャーが花開いた『宝島』の黄金期。熱狂と興奮に包まれていた日々の秘話をお楽しみください。

※9月20日(木)、町山さんが「ラジオデイズ」5周年記念のトークイベントに出演します。ご本人がトークの相手に指名したのは、歌謡ファンクバンド「面影ラッキーホール」。ボーカルのaCKyさん、リーダーでベースのSinner-Yangさんとの鼎談に興味がある方は、以下より詳細をご確認ください。

http://www.radiodays.jp/community/show_event/139


◆町山智浩、『宝島』ゴールデンエイジを大いに語る
——80s~90s アニメ、ゲーム、パンクブームの潮流

(2012年3月29日 ラジオの街で逢いましょう 第261回「町山智浩+津田大介『宝島』ゴールデンエイジを語ろうか」より)
出演:町山智浩(映画評論家)、浜菜みやこ(アシスタント)、津田大介

 

浜菜:声と語りのダウンロードサイト『ラジオデイズ』では、オリジナル収録の漫才や朗読、そして話題の人たちの対談を音声コンテンツとしてお届けしています。今日のパーソナリティは津田大介さん。そして、ゲストはこの番組には2回目の出演となる、映画評論家の町山智浩さんです。津田さん、町山さん、よろしくお願いします。

津田:よろしくお願いします。

町山:よろしくお願いします。

浜菜:現在はアメリカ・カリフォルニア州バークレー在住の映画評論家として活躍する町山さんですが、1980年代から90年代にかけては宝島社の敏腕編集者として知られていました。その後、洋泉社で雑誌『映画秘宝』[*1] を立ち上げて渡米。『映画の見方がわかる本』(洋泉社)[*2] 『トラウマ映画館』(集英社)[*3] などのベストセラー書籍を多数手がける一方、テレビやラジオ番組への出演でもお馴染みです。実は、津田さんは学生時代から編集者・町山智浩のファンだということで、このたび町山さんが日本に帰国されたタイミングで、お二人の対談が実現したというわけです。町山さん、今日はお忙しい中、本当にありがとうございます。

町山:こちらこそありがとうございます。

浜菜:この『ラジオデイズ』でも、町山さんが出演した音声コンテンツはいつもヒットするんです。昨年9月に、町山さんと小説家の平山夢明さん [*4] 、映画評論家の柳下毅一郎さん [*5] の3名で開催したトークセッション [*6] も大好評でした。スタンリー・キューブリック監督とコーエン兄弟についてのディープな語りが楽しめますので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。さて、それでは津田さん、憧れの町山さんにお話を伺っていきましょうか。

町山:津田さんは何年生まれなんですか? 僕が編集した雑誌を読んでくれていたとのことですけど、どれだろう。

津田:1973年生まれです。町山さんが宝島社で最初に携わった雑誌は80年代の『宝島』[*7] ですよね。僕はまだ小学生だったので、音楽雑誌として全盛期を迎えていた当時の『宝島』はリアルタイムで読めていないんですよ。中学生の時に創刊された音楽雑誌『BANDやろうぜ』が初めて手に取った宝島社の雑誌だったと思います。

町山:じゃあ、ちょうど『宝島』が音楽雑誌じゃなくなった頃だ。

津田:今思い返すと『BANDやろうぜ』には『宝島』の音楽テイストの残り香みたいなものがあったんですよ。それが好きでずっと読んでいて、その後高校生になってから『宝島』のムックシリーズ『別冊宝島』を読み始めました。政治からサブカルチャーまでさまざまなことを扱っていて、本当に面白かったですね。自分が高校で新聞部に入って文章を書き始めたこともあり、「こんな文章が書けるライターになりたいな」と思うようになったんです。

浜菜:町山さんの作った雑誌が津田さんのキャリアのきっかけになったと。『別冊宝島』の中で、特に思い出に残っている記事は何ですか?

津田:たくさんありますけど、性風俗ルポの『セックスというお仕事』(宝島社文庫)[*8] はかなりインパクトがありましたね。あと『ライターの事情』(宝島社)[*9] も、「書いて食べていく」とはどういうことなのかを教えてくれた思い出深い一冊です。当時、ライターになりたいという気持ちは固まりつつあったものの、まだ高校生なのでどうすればいいかわからないわけですよ。そんな時、『ライターの事情』を読んでいると、ライターさんたちの略歴が紹介されているページに行き当たったんです。よくよく見ると、みなさんなかなか良い大学を卒業していらっしゃる。それで「どうやら日本ジャーナリスト専門学校で学べばライターになれるというわけではなさそうだ」と気づいたんです。高校を卒業したら大学、それも東京六大学くらいには行かないとダメらしい——そう思い至り、一浪して早稲田大学に入りました。大学時代は宝島社が30代向けに創刊した月刊誌『宝島30』に出会って、完全にハマりましたね。今も実家にバックナンバーが全部残っているはずです。町山さんは『宝島30』にもかかわっていたんですよね。

町山:90年代初めだね。『宝島30』では、いろいろな人に原稿書いてもらいましたよ。

津田:あの雑誌で連載されていた爆笑問題の時事ネタ漫才がすごく好きでした。『爆笑問題の日本原論』(宝島社)[*10] という名前で書籍化されて大ヒットしましたよね。あと、自民党の石破茂さん [*11] がまだ若手議員だった頃に書いた独自の国防論も面白かった。ほか、宗教学者の島田裕巳さん [*12] のオウム真理教ネタや、ジャーナリスト・岩上安身さん [*13] のルポ……と、印象深い記事は数えきれないですね。ただ、当時は雑誌を読んでいても町山さんの名前に気づかなかったんです。だから、自分がライターという仕事に興味を持つきっかけになった雑誌を作っていたのが町山さんだったということは、ずいぶん後になってから知りました。

町山:編集者は名前が前に出ませんからね。奥付にちらりと載るレベル。ただ、『宝島30』にたくさん掲載していた無署名原稿は、ほとんど僕が自分で書いていました。だいたいがケンカ原稿ですけどね(笑)。

浜菜:ケンカ原稿……?

町山:気に食わない人のことをボコボコに書いていたんですよ(笑)。

津田:ありましたね(笑)。ちなみに『宝島30』はどれくらい売れていたんですか? 僕、毎月発売日になると本屋へ足を運んでたんですけど、店頭に並んでいないことが多かったんです。人気ですぐに売り切れているか、全然売れなくて置かれなくなったかのどちらかだろうとは思っていたのですが……。

町山:もちろん売れてなかったですよ。でも3、4回は完売したことがあります。

津田:完売した号はどういう企画だったんですか?

町山:ひとつは美智子皇后について書いた「皇室の危機——『菊のカーテン』の内側からの証言」という記事が載った号で、これは大問題になりました。『宝島30』編集部が右翼に銃撃されましたから。もうひとつは岩上さんの記事で、角川書店の経営者一族が抱える秘密をすべて暴露するという……。これも非常に危険な原稿なのですが、岩上安身さん自身がネットで全文公開しているので [*14] あえて挙げてみました。

津田:覚えてますよ。岩上さんの記事だったんですね。

町山:そのあたりの号は攻めた内容の記事が多くて、部数も多めに刷ったのに完売が続きましたね。まあ、かなりの量を買い占められたのかもしれないですけど(笑)。

津田:角川グループからね(笑)。でも岩上さんといえば、先日町山さんとジャーナリストの上杉隆さんが、上杉さんのラジオ番組降板の理由をめぐってツイッターで論争したじゃないですか。[*15] 最終的に公開討論の場を設けようという話になった時、町山さんは司会者に岩上さんを指名しましたよね。岩上さんにはいろいろなことを教わったと書かれていて、僕、そのツイートを見るまでは町山さんと岩上さんにつながりがあると思わなかったんです。

町山:彼との付き合いは長くて、どこから話せばいいかなぁ……。

津田:順番にお話を伺っていきたいです。そもそも町山さんが編集者になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

町山:僕はもともと漫画家になりたくて、早稲田大学の漫画研究会に入っていたんです。でも、漫研の高橋さんという先輩が編集プロダクションを作ったので、僕もそこで18歳からアルバイトを始めて、『POPEYE(ポパイ)』[*16] などの雑誌でオタク系記事の原稿を書いてたんですよ。男性向けの雑誌って、だいたいアニメやゲームのページがあるじゃないですか。そういうものはコンテンツとしてはウケるんですけど、当時の編集部は誰に仕事を頼めばいいかわからない。だから、そういう仕事がすべて高橋さんのところに降りてきていたんです。その流れで『週刊ヤングマガジン』[*17] の創刊も手伝ってました。創刊号の特集は「機動戦士ガンダム」[*18] だったって知ってました?

津田:知らなかったですね。じゃあ、その頃は当然『代紋(エンブレム)TAKE2』[*19] も載っていなくて……。

町山:ヤンキー系の漫画雑誌じゃなかったんですよ(笑)。創刊当初の編集者がすごくSF好きの人で、当時は子ども向けのコンテンツでしかなかったガンダムを青年向けに紹介したいということになった。かなり大規模な企画だったので、講談社がガンタムの制作会社・サンライズと契約して、一時的に著作権を譲渡してもらったんじゃないかな。当時、講談社はSFブームを仕掛けようとしていたんですね。最終的には世界的に大ヒットした大友克洋さんのアニメ『AKIRA』[*20] につながっていくんですが。『AKIRA』の前に、まずは『SF新世紀レンズマン』というアニメ映画を作って、さらに『GALACTIC PATROL レンズマン』というテレビアニメを作った。日本初のCGアニメということで、講談社がいろいろな代理店と組んで大々的に宣伝して、メディアミックスを仕掛けたんですね。『週刊ヤングマガジン』が創刊されたのはその頃です。

津田:町山さんは『週刊ヤングマガジン』で何を担当していたんですか?

町山:18歳だった僕は、欄外の豆知識原稿を書かされていました。『レンズマン』ではすごく細かい裏設定を書きましたね。この戦艦は全長何メートルで、排水量何トンで、主砲が何インチで……みたいなね。作品のストーリーには関係ないから、アニメの原作者やアニメーターの人もそんな設定は考えていないんです。でも、雑誌や子ども向けの書籍で紹介する時はそういうデータが必要になる。ひたすらそれをデッチあげていました。

津田:漫画を描くために漫研に入ったのに、いつの間にか雑誌制作の仕事ばかりするハメになっていたと。

町山:当時のアニメ業界はすごい時代で、ガイナックス [*21] が誕生した時期でもあるんです。ガイナックスというのは岡田斗司夫さん [*22] たちが立ち上げたアニメ制作会社で、『新世紀エヴァンゲリオン』[*23] を監督した庵野秀明さんも設立メンバーの一人。それにかかわっていたプロデューサーの井上博明さんは、僕がバイトをしていた編プロの社長・高橋さんの友人でもあったんですね。みなさん錚々(そうそう)たる顔ぶれで僕よりずっと年上なんですけど、当時のアニメ業界は「世間がオタク系コンテンツを必要としてるんだから、学生でも何でもできるやつにどんどん仕事をさせろ」という空気だったんですよ。実は当時、井上さんから「町山くん、ガイナックスに来ない?」と誘われたこともあったんです。あの時入っていたら、人生変わってただろうなぁと思います。

津田:映画評論家じゃなくて、映画を作る側になっていたかもしれないですね。

町山:あともう一つ、当時のオタク系コンテンツで忘れてはいけないのが「ゲーム」。ファミコンが登場した頃だったので、編プロにはゲーム関連の仕事も怒濤のように押し寄せてきました。『ファミコン必勝本』ってわかりますか?

津田:わかるも何も、愛読してましたよ。数あるファミコン雑誌の中でも、他誌では紹介しないような裏技がたくさん載っていて、すごく重宝しました。特に1冊目の『ファミコン必勝本』は、ゲーム好きの間では伝説になっていますよね。

町山:田尻智くんが参加していたから、すごいものができたんですよ。田尻くんはその後『ポケットモンスター』の生みの親として一世を風靡するゲームクリエイターになるんだけど、その当時はまだ予備校生だったんです。その予備校がある高田馬場に「キャロット」というゲームセンターがあって、田尻くんも常連だったんですね。その頃はどのゲーセンでも「ゼビウス」というシューティングゲームが流行っていて、「ゼビウスを攻略しているすごいヤツがキャロットにいるらしい」と噂になっていたんです。ゲームのスコアと、ハンドルネーム的な名前が店に張り出されるから、「このすごいスコアを叩き出したのは誰だ」という感じで。結果的に田尻くんだということがわかるんだけど、その時彼がコピーで手作りしたのが、オリジナルの「ゼビウス攻略本」——通称「ゼビ本」[*24] です。それを基に、JICC出版局——のちの宝島社が『ファミコン必勝本』を作ることになったんです。

津田:それはすごい話ですね。あの田尻智さんが……。

町山:これは僕が宝島に入社した後の話ですけど、僕が『宝島』でインディーズバンドの記事を作っている下の階で、田尻くんがひたすらゲーム攻略してるんですよ。その頃のゲーム雑誌は作るのがとても大変で、今だったらゲーム画面をパソコンで簡単に取り込めますが、当時はそれができなかった。だから、給湯室の中に真っ暗な暗室を作ってテレビを置いて、テレビ画面でゲームを静止してから写真を撮ってたんです。それを35ミリフィルムにして入稿するという、地味な仕事ですよ。

津田:ひたすら辛い作業を……。

町山:狭くて真っ暗な部屋の中で(笑)。

津田:そういう編プロでのアルバイトを経て、町山さんは宝島社に入社された。最初に配属されたのは音楽雑誌だった頃の『宝島』ですよね。ここまではアニメとゲームの話をうかがってきましたが、当時の音楽シーンはどんな感じだったのでしょう?

町山:僕が大学生の頃はオタク文化が盛り上がってきたのと同時に、インディーズ・パンクがものすごく元気だったんですよ。ザ・スターリン [*25]、ラフィンノーズ [*26]、ザ・ウィラード [*27]、それに有頂天……。有頂天のボーカルのケラ(現:ケラリーノ・サンロドヴィッチ)[*28] は僕と同じ年なので、まさにドンピシャの世代なんですね。その少し前に出てきたRCサクセションやYMOも好きだったけど、結局のところあれはレコード会社から出てきた商業音楽。ライブハウスから火がついたパンク・ブームとは尖り方が全然違うんです。

津田:バンドが頻繁に事件を起こしていましたよね。ラフィンノーズが「新宿のアルタ前でソノシートをバラまく」と告知して、1000人以上のファンが集まる騒ぎになった「新宿アルタ前事件」とか。

町山:実はそれ、僕が宝島社に入ったばかりの頃に起こった事件です。宝島社が新宿アルタ前で主催したフリーコンサートでは警備をやらされたしね。当時は誇張じゃなく、毎日何かしらの事件が起こって、本当に刺激的でした。ハナタラシという超過激なパンクバンドがいて、ライブハウスの壁をユンボで破壊して登場したりね(笑)。[*29]

津田:ライブ自体が犯罪すれすれだという……。

町山:もはや犯罪でしょ。一番すごかったのが、1986年にイギリスのカルトノイズバンド・Psychic TVが来日した時の中野公会堂ライブ。ハナタラシが前座をするということで、『宝島』からも記者が取材に行っていたんですね。そしたらその記者から電話があって「ハナタラシのライブが急遽中止になった」と言うんです。理由を訊いたら、ハナタラシが爆弾を会場に持ち込んだらしいと。事前に発覚して主催者がライブを中止したんだけど、彼は本気で観客全員を爆殺しようとしていたというね。ギャグみたいな話だけど実話なんですよ。

津田:観客が出演者への嫌がらせで爆弾仕掛けるのなら理解できなくもないですけど、出演者が爆弾を持ち込んだんですか。しかも前座が(笑)。

町山:あと、ギズムというバンドもすごかった。火炎放射器を担いで、客席に向かって火炎を放射しながらライブするんだから。彼らはプロモーションビデオもぶっ飛んでるんですよ。ベトナム戦争で実際にあった虐殺シーンの映像に爆音のノイズを重ねたビデオがあるんですけど、初めて観た時は衝撃的でしたね。

津田:バンドがぶっ飛んでいれば、彼らと一緒に仕事をするクリエイターもぶっ飛んでいたと。

町山:まさにそうで、音楽雑誌の編集をしていると、ミュージシャンだけじゃなくて、バンドまわりで活動している面白い人たちにも会えるんですよね。今は作家として活躍している渡辺浩弐さん [*30] も昔はビジュアル系バンドのマネージャーをしていて、営業で『宝島』編集部によく来ていました。ある日、世間話をしていたらバンドのマネージャーはもうすぐ辞めると言うから、次はどうするのかを尋ねると「これからはゲームだよ」って。その後、実際にビジネスを始めて大成功するんだから先見の明があったんでしょうね。

津田:ゲームの攻略情報などを紹介するビデオマガジン『GTV(ゲームテック・ビデオ)』を作ったんですよね。当時、ビデオというメディアを選んだということは時代を先取りしていたんでしょうね。その後は小説を書くようになって、テレビ番組化、映画化もされました。

町山:あと、ルースターズ [*31] などのライブプロモーションをしていた伊藤さんという人がいて、彼は広瀬隆さんの著書『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』(八月書館)[*32] を大量に自腹で買って、放射能がいかに危険かということを説きながら片っ端から知人に配り歩いていたんですよ。そうかと思えば、淫夢を見たいがために一年間も自慰を絶ったりするんですから、相当おかしな人でしたね。ちなみに彼は後年、松沢呉一 [*33] という名前でライターになるんですけど——。

津田:ええっ。『SPA!』で連載していた松沢さんですか!

町山:そうそう。当時は「この人は何を言ってるんだ」と不思議だったけど、妄言をちゃんと仕事にしてるからすごいですよね。ブレないというか、一貫性がある。ほかにも、ライターの川勝正幸さんに初めて会ったのも、彼も僕もまだサラリーマンだった頃でした。

津田:川勝さんというと、今年の1月にお亡くなりになった——。[*34]

町山:実はついこの間、川勝さんのお葬式に行ってきました。有頂天のケラさんや、ばちかぶりのメンバーで俳優の田口トモロヲさん [*35] をはじめ、昔の『宝島』に集まってた編集者やバンドのメンバーが勢揃いしていました。何だか同窓会のような雰囲気で、感慨深かったですね。

津田:でも、これまで名前が挙がった人たちって、今も全然現役ですよね。みなさん年齢を重ねても第一線で活躍されている。

町山:まあ、それぞれに活動のかたちは変わっていますけどね。結局あんなに熱狂的だったパンクブームも、1987年、ラフィンノーズの日比谷野外音楽堂ライブで起きた将棋倒しによる死亡事故をきっかけに、スッと冷めてしまいましたから。その後、TBSが放送していたアマチュアバンドのオーディション番組『三宅裕司のいかすバンド天国』が人気になって、日本のパンクシーンが変わってしまうんです。

津田:ビートパンクのようなポップな音楽がたくさん出てきて、売れ線音楽へシフトしちゃうんですよね。

町山:そうなんです。かつて『宝島』がやっていたような音楽シーンをCBSソニーの雑誌『PATi-PATiロックンロール』が追いかけ始め、一方の『宝島』は渡辺美里 [*36] やブルーハーツ [*37] といったメジャーなミュージシャンばかりを取り上げるようになった。そうすると発行部数は上がるんですよ。『宝島』は10万部の雑誌になったのに、路線が変わったことで僕はすごくいづらくなったんですね。編集長はそのことに気づいていて「『宝島』の編集をずっとやりたいんだったら、渡辺美里を推したくなくても妥協しなきゃダメだよ」と言ってくるわけです。今なら編集長の意見はもっともだと思えるんですけど、当時は反発してしまった。上からの命令に反してPANTAさん [*38] や泉谷しげるさん [*39] のインタビューばかり取ってきて、編集長と仲違いしてしまうんです。

津田:結局は『宝島』から離れる道を選ぶのですか?

町山:というか「どこかヨソの雑誌へ行け」と言われました。僕が『宝島』で最後にインタビューしたのはエレファントカシマシ [*40] です。『宝島』でのキャリアの最後を締めくくるのにふさわしいというか、象徴的だなと思いましたね。

津田:エレカシはレコード会社に作られた商業ロックとは一線を画す存在だったと。

町山:渋谷公会堂のライブがすごかったんですよ。会場全体に緊張感があって、お客さんはピクリとも動かず音楽を聴いている。ボーカルの宮本くんはそんな観客に対して「お前らつまんねーのかよ!」「黙って聴いてんじゃねーよ!」みたいな罵声を浴びせるんですよ。で、最後の曲を歌い終えた瞬間、マイクを思いっきりステージに叩き付けて退場するんです。マイクの音がガーンとハウって終わり。いやー、最後にいいもの見せてもらいました(笑)。

津田:『宝島』のあとはどちらに?

町山:『別冊宝島』の編集長だった石井慎二さんが僕を引き取ると名乗り出てくれたので、石井さんの下で『別冊宝島』を作ることになりました。

津田:それはいつ頃ですか?

町山:昭和天皇が崩御した年だから、1989年ですね。異動してすぐ、天皇が亡くなったことを右翼がどう捉えているか取材してこいと言われて『平成元年の右翼』(JICC出版局)[*41] という本を作ったんですよ。その時に一緒に組んだライターが岩上さんでした。

津田:『別冊宝島』編集部に入ったことで、岩上さんと仕事するようになったんですね。どんなふうに取材を進めたのでしょうか。

町山:大喪の礼——国の儀式として執り行われる天皇の葬儀には右翼の人たちがいっぱい来るから、そこで彼らに密着取材しろと。右翼団体といってもたくさんあるけれど、とりあえず大日本愛国党 [*42] に電話して取材したいと伝えたんです。そしたら相手はすごく優しい人で、銀座の数寄屋橋で演説をするから来ればいいと言ってくれて。

津田:あの当時って、愛国党のビラが全国の電柱に貼られてましたよね。

町山:日の丸のやつね。そういうものを誰が作って、誰が貼っているのかということも知りたかったんですよ。それで数寄屋橋に行ってみると、実際に街宣車がたくさん停まっているわけです。僕たちと同じことを考えるメディアもいて、確かフジテレビだったかな、テレビカメラが来ていたんですね。大日本愛国党総裁の赤尾敏先生がいるのがわかったので、まずそちらに挨拶しにいったんですよ。そしたら、赤尾先生にいきなりステッキでボコボコに殴られた。僕、その時テレビに映っちゃいましたからね(笑)。

津田:ええっ。なぜいきなり……?

町山:テレビクルーは僕が殴られているところを撮って満足して帰っていったんですよ。そしたら赤尾先生が僕に「ごめん、痛かった? テレビが来てたからついやっちゃったよ」って言うんです。もう、本当にびっくりしましたよ。僕、先生のパフォーマンスのためにボコボコにされたの?って(笑)。

津田:すごいですね。ある意味、貴重な経験というか……。それが『別冊宝島』での初仕事だったんですか?

町山:そうです。岩上さんと一緒に朝の4時から大喪の礼に行って、右翼の人たちが行進しながら皇居に集まってくるのを取材しました。後日、本は無事に出版されたのですが、ある右翼団体から抗議が来たんですね。岩上さんの原稿に「天皇陛下のお葬式だというのに、一部の右翼は金ピカの時計やネックレスを身につけてチャラチャラした格好で来ている」という内容の記述があって。それは事実だったんだけど、どこの団体の誰だとか、名指しでは書かなかったはずなんです。でも、その文章のすぐ下にたまたま写真を掲載していて、そこに写っていた右翼団体が怒ってしまった。

津田:うちの団体がチャラチャラしていると思われるじゃないかと。

町山:この写真は誰が見ても俺だとわかるんだから、俺のことを書いているとしか思えないじゃないかってね。「ふざけるな、事務所へ来い!」って怒鳴るものだから事務所まで行ったんですよ。

津田:まさか一人で行ったんですか?

町山:最初は石井編集長と2人で行きました。上野にある事務所に着くと、右翼の人たちにまわりを取り囲まれてね。殴られるのかなと思っていたら、その写真に写っていた体の大きな人——中村太さんという方が出てきて泣くんですよ。「確かに右翼団体の中には暴力団系の団体もある。チャラチャラしているヤツらもいるけれど、俺たちは違うんだ。この活動では一銭も儲からないけど天皇陛下のためにやっている。それをチャラチャラしたヤツらと同列に掲載するなんてどういうことだ!」と、涙ぽろぽろ流しながら抗議されてしまって。

津田:それは意外な展開ですね。

町山:僕も悪いことしたなぁと思って、素直に謝ったんですよ。でも、中村さんの怒りは収まらなくて、この原稿を書いた岩上を呼べと言う。面倒くさいことになりそうだなぁと思ったのですが、その右翼団体の事務所の壁にかかっているスケジュール表に、「銀座で凱旋」「靖国神社で奉仕」といった予定の中に混じって「全女 後楽園」と書いてあったんですね。全女? 後楽園? これはもしや……と思っていたら「女子プロの試合だよ。右翼の活動とは関係なくて俺が個人的に好きなんだよ」って。

津田:プロレス好きの方なんですね(笑)。

町山:拓殖大学の空手部出身で、体格もすごいんですよ。でね、岩上さんもプロレス大好きなんです。フルコンタクト空手をやっていて、プロレスラーの友だちもいっぱいいる。だから、岩上さんと中村さんがプロレスの話でむちゃくちゃ盛り上がって、以来、二人は仲良しになったんですね。

津田:中村さん、いいですねー。

町山:実はその後、全然関係のない場所で中村さんとばったり会ったことがあったんです。それが、科学技術館の地下でやっていた軍事オタク向けの即売会なんですよ。僕はもともと軍事オタクでもあるんだけど、その時は『おたくの本』(宝島社)[*43] を作っていたので、リサーチも兼ねて行ったんですね。そこで中村さんに話を聞くと、彼は究極のオタクだということがわかったんです。1984年に、それまで10年以上作られていなかったゴジラ映画が復活したのですが、それはゴジラマニアの人たちがゴジラを復活させようとして作った「ゴジラ復活委員会」の運動の成果だったんです。品田冬樹さん [*44] という当時はアマチュアの造型師がゴジラのぬいぐるみを作って、いろいろなゴジライベントを開催してゴジラブームが盛り上がりました。そこで東宝が動いたんですよ。そのイベントで使ったゴジラの大きなぬいぐるみを何で運んでいたかというと、中村さんの街宣車だったんです。

津田:街宣車の中にゴジラのぬいぐるみが……(笑)。

町山:しかも移動中は伊福部昭さん [*45] が作曲した「ゴジラのテーマ」をずっとかけていたそうなんです。あとは『宇宙戦艦ヤマト』のテーマ曲とか。オタクですからね。そのせいで1980年代の初めに、なぜかゴジラやアニメソングを流す街宣車があるらしいという都市伝説が生まれたんですよ。漫画家の桜玉吉さんがエッセイに描いたりして話が広まったんですけど、実はすべて中村さんが一人でやっていたという(笑)。あと、中村さんはマンガ家の吾妻ひでおさん [*46] のファンクラブの会長も務めていたらしいから、オタクにとっては神のような人。軍事、ロリコン、プロレス、アニメ……と、あらゆる分野に精通しているんです。

津田:今のオタク文化の基盤を作ったような人だったんですね。

町山:本当にそうですよ。それで僕、実は宝島社に入社してすぐの頃、ゴジラの復活に合わせて『ゴジラ宣言』(宝島社)[*47] という本を作っていたんですね。右翼の取材がまわりまわってゴジラでつながった。

津田:そしてさらにその後『おたくの本』を作ると。

町山:そう。怖いくらいつながっているんですよ。ちなみに『おたくの本』に伝説のゲーマーとして登場する人物は、名前は明かしていないんだけど田尻智くんです。彼のエピソードはさっきも話したけれど、挙げれば本当にきりがない。田尻くんが宝島社の前身であるJICC出版局に出入りしている時に、彼から妙なゲーム機を見せられたことがあるんです。初代のファミコンに、当時CASIOから発売された小さな液晶テレビが載っている。田尻くんが自分で配線をつないで、ファミコンの画面をその液晶で見られるようにしたんですね。それを僕に見せながら「これで電車の中でも歩きながらでもゲームができるようになりますよ」って言うんです。

津田:まさかそれは……。

町山:そう。「ゲームボーイ」の原型なんですよ。本当にすごいですよね。彼はゲームのほかにパンク音楽も好きで、部屋にセックス・ピストルズのポスターを貼っていたんです。個人的にはそれが『ポケットモンスター』につながっていったんじゃないかと思っていて。『ポケモン』のキャラクターって、みんな髪の毛が尖ってるじゃないですか。あれはピストルズのシド・ヴィシャスに影響されているような気がするんですよね。

津田:その解釈は面白いですね! ところで、町山さんは結局『別冊宝島』には何年いたんですか?

町山:そんなに長くいなかったんですよ。おかげさまで『別冊宝島』がすごく売れて、どんなテーマでも10万部を超えるという状態になったんです。ただ、いろいろな著者の原稿を企画ごとに毎回新しく集めるのは大変だから、もう一つ雑誌を作って、そちらの連載をまとめて『別冊宝島』で書籍化するシステムを導入することになりました。そのために『宝島30』を創刊することになって、当初は僕が編集長になる予定で動いていたんですよ。

津田:なぜ編集長にならなかったんですか?

町山:僕が社内でちょっとした問題を起こしてしまい、その話はご破産になったんです。結局はヒラの編集者として『宝島30』に参加することになったのですが、そこでメインライターとして仕事をしてもらっていたのが岩上さんや島田裕巳さんでした。岩上さんにいろいろなことを教わったのもこの頃ですね。1993年に角川春樹がコカインで逮捕されたでしょ。それと前後して角川家のお家騒動が持ち上がったので、一連の問題はなぜ起こったのかということを調べることになったんです。取材の手法や原稿の書き方については、かなり勉強させてもらいましたね。

津田:岩上さんはその頃、すでにフリーで仕事をしていたんですか?

町山:彼はもともとリクルートで営業をしていたんですよね。営業マンとしての能力も取材に活かす人で、とにかく口がうまいんです。で、僕たちがどうやって取材を進めていったかというと、角川家のことを調べているうちに、よくわからない空白が見えてきたんですね。角川春樹の妹の身に起こった不幸な事件があって、どうやらそれが角川春樹の人生に暗い影を落としているらしい。そこを掘り下げないと角川春樹は理解できないだろうということで、まずは文献から探ることになりました。角川春樹が書いた文章——あの人は膨大な量の俳句を書いているんですけど、それも含めて彼の心の傷が表現されている部分をすべて拾ってこいと言うんですよ。そうして僕たちが集めた資料の中から、岩上さんが重要そうなものだけを選び出して何度も読む。妹さんに関する記述や、妹さんに関する映画も全部観るんです。

津田:その作業を2人でしていたと。

町山:いえ、僕と岩上さん、それに岩崎くんという『噂の眞相』から『宝島30』に来た若手編集者の3人です。僕と岩崎くんは文献担当で、岩上さんは取材担当。岩上さん、角川春樹の前妻が経営する飲み屋に何度も足を運んで聞き込みするんですけど、向こうは何も話してくれないわけですよ。それでもめげずに通って、たくさんお金を使って、ついに話を聞き出した。角川家の本宅がある富山県へ行って、近所の人に片っ端から話を聞いてまわったこともありました。そうして証言を得たら、国会図書館の新聞までシラミつぶしにして必ず裏を取る。完璧な調査取材だったし、ある種の探偵ですよ。大変だったけれど、驚くべき真相がわかった時はものすごい達成感がありました。

津田:「ジャーナリズムとは何か」みたいなことを学んだんですね。

町山:記事は推測で書くな。推測で書く時は引用しろ。必ず言質を取れ。あとは、訴訟を防ぐ原稿の書き方も教わりましたね。

津田:『宝島30』時代の話で言うと、冒頭でおっしゃっていた右翼団体に編集部が銃撃された事件のことも詳しく知りたいです。

町山:角川家のことを一緒に調べていた岩崎くんが、すごいスクープを取ってきたんですよ。宮内庁保守派の内部告発で、皇后の美智子様に関することだったんですけどね。『宝島30』の第一報に週刊誌が追随して、大問題になったんです。僕たちは月刊誌だったから無理だけど、週刊誌はものすごいペースで記事を量産しました。そして美智子様が失語症になられた。明らかに抗議のためにされた行動です。

津田:それで右翼が怒るわけですね。

町山:より報道が過熱していたのは『週刊文春』のほうなのに、怒りの矛先がこちらに向いてしまった。編集部が銃撃を受けて、さすがに僕も身の危険を感じました。どうしようと思っていたら、石井編集長が「町山、右翼団体へ行ってこい」と言うんですよ。どこの団体がやったのかもわからないのにね。仕方がないから岩崎くんとふたりで右翼団体行脚を始めました。「右翼らしき人に撃たれた会社の者ですが、あの記事に対してどう思われますか?」と訊いてまわるんですよ。「抗議があれば雑誌に載せますから、何でも言ってください」って。そうして相手の懐に飛び込んでしまえば、向こうも手を出せないんですよね。

津田:石井編集長流の危機管理対策だったわけですね。

町山:石井さんはすごいなと思いましたよ。「殴られるかもしれないけど、殴られたらめっけもんだと思って行ってこい」ですからね。実際は右翼の人たちにすごく良くしてもらって、お寿司をおごってもらったこともありました。「大変だったな、怖かっただろー」とか言われてね(笑)。

津田:結局、犯人は見つかったのですか?

町山:それが、思わぬところから犯人が発覚したんです。松原隆一郎先生 [*48] という東京大学で経済学を教えている教授がいて、『宝島30』でずっと連載をしてもらってたんですね。彼は「東大最強の男」と言われているんだけど、討論や論文が最強というわけではなく純粋にケンカが強いんですよ。岩上さんと一緒にフルコン空手をやっていて、有段者ですから。その松原先生がある日編集部へ遊びにきてくれて、「そういえば、ここ撃ったおっさんボコボコにしたよ」ってサラリと言うんです。

津田:それは一体どういうことなんでしょう……。

町山:その少し前に松原先生が空手の試合で年配の人と対戦したらしいんですよ。で、先生は手加減しそこなって、相手をボコボコにしてしまったんですね。でも、試合が終わってから「おとなげなかったな」と反省して謝りに行ったらしいんです。それで相手と雑談することになって、何の仕事をしているのか訊かれた。先生が「大学で教えていて、『宝島30』なんかの雑誌に連載してる」と答えたら、相手が「俺、そこにピストルの弾打ち込んだから」って言ったんですね。まあ、予想どおり右翼団体の方だったんですけれども。

津田:試合でボコボコにしたという話なんですね(笑)。町山さんはその人の団体へは行かなかったんですか?

町山:行かなかったんですよ。当時人気のあった雑誌『噂の眞相』にその人のインタビューが載ったりしたんですけど、僕が直接コンタクトを取ることはできませんでした。というのも、彼はその直後に暗殺されちゃったんです。皇室問題とは関係のない金銭トラブルが原因だったらしいんですけど、サイレンサー付きの銃で射殺されちゃった。それで事件は幕引きを迎えたという。嘘みたいな話でしょ?

津田:いやーすごいです。

町山:ねつ造してるみたいでしょ。ねぇ? ねぇ? ねぇ?

津田:僕に何を言わせたいんですか!(笑)。そういえば、最近は岩上さんとお仕事することはないんですか?

町山:ないですね。でも今も彼のことは尊敬していますよ。岩上さんとのエピソードで最も印象的なのは、やはり角川春樹を追っていた時のことです。ある日、岩上さんに「町山、作家の夢枕獏さん好き?」って訊かれたんですよ。好きですと答えたら、今から会わせてくれると言う。その時、夢枕さんが新宿の京王プラザホテルで缶詰になって原稿を書いていたらしく、これからそこへ行くと言うんですよ。喜んで連れていってもらうと、ホテルの部屋にいたのは夢枕さんだけではなく、マンガ『グラップラー刃牙(バキ)』の連載が始まったばかりだったマンガ家の板垣恵介さん [*49]、パチンコマンガが大ヒットした谷村ひとしさんもいて、夢のようなメンツが揃っているわけです。

津田:ずいぶん濃い顔ぶれですね……。そのメンバーで何して遊ぶんですか(笑)。

町山:みんなでビデオを観るって言うんですよ。ブラジルから格闘技のビデオが届いて、ブラジリアン柔術の中のグレイシー柔術というのがめちゃくちゃ強いらしいと。アメリカの「アルティメット」[*50] という格闘技選手権でもグレイシー柔術がダントツで強いらしいんだけど、よくわからないから観てみようよ、なんて言って楽しそうにしているんです。

津田:ヒクソン・グレイシー [*51] たちが話題になる前の話ですよね。

町山:日本ではまだ誰もグレイシーファミリーなんて知らなかった時代です。それでビデオを観たんだけれど、何が起こっているのかよくわからないんですよ。素人撮りのカメラで画質も粗いから。選手が揉み合ってて、明らかに上からマウントしているほうが突然タップアウト——ギブアップするんですよ。実際は、責められているように見えたほうが下から締めていたんでしょうね。でも、誰もポルトガル語がわからないし、その場では「よくわからないけどそんなに強くないんじゃないの?」という意見で一致しました。その後、夢枕さんは市原海樹という選手を自費でアルティメットに送り出すことになるんだよね。

津田:それにしても何と言うか……すごい現場に立ち合っていますね……。

町山:でしょ? だって板垣恵介が一緒にいたんだよ? 『グラップラー刃牙』だよ? だから僕、そこに連れていってくれた岩上さんを尊敬してるの(笑)。

津田:その後、『宝島30』にはいつまで在籍していたんですか?

町山:1990年代になって『宝島』がヘアヌード雑誌になっちゃうんですけど、それが売れたものだから、蓮見清一社長が「何でもいいからエロを載せろ」って言い始めるんですよ。社長の鶴の一声で、なぜか『宝島30』にまでヘアヌードを載せることになったので、僕は「それはやめてください」と逆らったんですよ。

津田:『宝島30』にヌード載せても意味ないですよね。

町山:そうなんですよ。紙も印刷も粗悪な雑誌にヘアヌードを載せる意味がわからないし、何よりも雑誌の品位が落ちてしまう。僕だって個人的にハダカは嫌いじゃないけど、『宝島30』でやることじゃないですよ。それを社長に伝えたら、「俺のやり方に文句があるのか」ってクビになっちゃった。

津田:独立することは考えなかったんですか?

町山:独立の可能性も含めていろいろ考えていましたよ。ある時、太田出版の知り合いに相談に行ったんですけど、それだけで『噂の眞相』に「宝島社町山、太田出版に転職か!?」みたいな記事を書かれて。僕はただのサラリーマンなのに、こんなことされたら動きづらいなぁと思って困っちゃって。そうしたら、その時もまた『別冊宝島』の編集長だった石井さんが声をかけてくれて、宝島社の子会社・洋泉社が経営不振なので、立て直しをやらないかと言うんです。結果的には洋泉社に出向する形で宝島社を去りました。

津田:町山さんにとって石井さんは恩師なんですね。

町山:石井さんはその後、自分も洋泉社に来てくれて、社長になった。僕にとっては父親のような存在です。[*52]

浜菜:残念ながら、ここでそろそろお時間となってしまいました。まだ洋泉社時代の話がこれからというところなのですが、続きは次回ということでよろしいでしょうか。

町山:じゃあまたいつか、次回は後編ということで。

津田:ここから『映画秘宝』の話が始まるわけですからね。

浜菜:町山さん、津田さん、今日はありがとうございました。

津田:ありがとうございました。楽しかったです。

町山:ありがとうございました。

 

※今回の原稿の基となった音声コンテンツは、以下のリンクからご購入いただけます。
http://www.radiodays.jp/item_set/show/542

 

[*1] http://www.eigahiho.jp/

[*2] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896916603/tsudamag-22

[*3] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087713946/tsudamag-22

[*4] http://blog.livedoor.jp/hirayama6/

[*5] http://garth.cocolog-nifty.com/

[*6] http://www.radiodays.jp/item/show/200811

[*7] http://tkj.jp/takarajima/2012Sep/

[*8] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796617396/tsudamag-22

[*9] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796691316/tsudamag-22

[*10] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796611800/tsudamag-22

[*11] http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

[*12] http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/

[*13] http://iwj.co.jp/

[*14] http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/kado1.htm

[*15] 「3分でわかる上杉隆VS町山智浩」——Togetter
http://togetter.com/li/248692

[*16] http://magazineworld.jp/popeye/

[*17] http://kc.kodansha.co.jp/magazine/index.php/02888/

[*18] http://www.gundam.jp/

[*19] http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/12497.html

[*20] http://www.bandaivisual.co.jp/akira/

[*21] http://www.gainax.co.jp/

[*22] https://twitter.com/ToshioOkada

[*23] http://www.gainax.co.jp/anime/eva/index.html

[*24] http://www.famitsu.com/game/serial/1140121_1152.html

[*25] http://natalie.mu/music/pp/stalin

[*26] http://www.laughin.net/

[*27] http://willard13th.com/prank-ster/

[*28] https://twitter.com/kerasand

[*29] http://www.youtube.com/watch?v=rxJUbd66Vcc

[*30] https://twitter.com/kozysan

[*31] http://columbia.jp/roosters/

[*32] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/493814008X/tsudamag-22

[*33] https://twitter.com/kureichi

[*34] 「川勝正幸氏、死去…お悔やみコメント集」——NAVERまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2132797961051452201

[*35] http://mash-info.com/profile/t_taguchi.html

[*36] http://www.misatowatanabe.com/

[*37] http://wmg.jp/artist/bluehearts/

[*38] http://www.brain-police.com/

[*39] http://ameblo.jp/shigeru-izumiya/

[*40] http://www.elephantkashimashi.com/

[*41] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880635510/tsudamag-22

[*42] http://www.geocities.co.jp/wallstreet/6551/

[*43] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796691049/tsudamag-22

[*44] http://book.asahi.com/author/TKY200507060230.html

[*45] http://www.akira-ifukube.jp/

[*46] http://azumahideo.nobody.jp/

[*47] http://tkj.jp/book?cd=00006301

[*48] https://twitter.com/ryuimatsu

[*49] http://www.itgm.jp/html/jp/Main.html

[*50] http://jp.ufc.com/

[*51] http://diamond.jp/articles/-/9482

[*52] 石井氏は2010年2月に死去。町山さんの石井氏への想いがよくわかるツイート。
https://twitter.com/TomoMachi/statuses/79916805057036288

 

▼町山智浩(まちやま・ともひろ)
映画評論家。1962年、東京都生まれ。早稲田大学在学中に啓文社の「大百科シリーズ」の編集に携わり、宝島社に入社。雑誌『宝島』や『宝島30』、ムック『おたくの本』などを手がけ、洋泉社へ。雑誌『映画秘宝』を創刊し、1997年に退社。現在はアメリカ・カリフォルニア州バークレー在住の映画評論家として活躍する。主な著書に『映画の見方がわかる本』(洋泉社)、『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文藝春秋)、『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか 超大国の悪夢と夢』(太田出版)、『トラウマ映画館』(集英社)などがある。

・ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記:http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/

・ツイッター:@TomoMachi

最終更新: 2012年9月5日

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